【前編】暗黒期を生き抜けたのは「ゆにのんず」の存在があったから
ポプ戦からはじまった芸能活動
芸能活動をはじめたのはPopteenがきっかけ。
中2のときPopteen×AbemaTVの公式連動番組『第2次Popteenカバーガール戦争 』にエントリーして、憧れのPopteenで見てきたポプ戦が現実になった。
「小4からPopteenを読んでいて、誰よりもPopteenがスキです!誰よりもがんばりマス!」ってアピールしたのを覚えてる。
ポプ戦がはじまると「太ってる」という声が多くて、父に付き合ってもらってランニングした。
スマホを手放すことなくRT戦争などのバトルの告知もやったりして、ガムシャラにがんばった。
その結果、あかぬけに成功してPopteen史上初のJCで表紙デビューさせてもらえた。
この時、高校生になったら上京する!って心に決めたんだ。
高1のときに山梨から上京
だけど、憧れていた東京での高校生活は想像とは違うものだった。
誰にも心を開くことができなくて、傷つけられたり、窮屈に感じたりして、居場所をなくしてしまった。
もともと人に相談したり、頼れない性格。
つらいときも、家族にも友達にも連絡できなかったりして、LINEの友達欄を何度もスクロールして、それで終わっちゃうみたいな日がいっぱいあった。
気がつけば、幸せは食べることに
そんな中、告げられたのはダイエット連載をスタートするということだった。
正直、あの頃の私に必要なのは心の回復だった。
でも「できません」って言ったら全て終わる気がして言えなかった。
そんなメンタルの中、ヤセることはできなくて、ダイエット連載は4回で打ち切りに…。
ダイエット連載のYouTubeではヤセられない私に向けられるコメントが次第にヒートアップして、ジブンの価値を見出せなくなった。
その後、2ヶ月の活動休業を経て、専属モデルからレギュラーモデルに降格してしまった。
周りの反応が怖かったし、昔はやさしくしてくれていた仕事関係のオトナの人たちも私から離れていった。
モデルとして仕事する以上、ジブンの立場で周りの人の対応って変わるんだって思った。
人間の怖い部分が見えてしまったけど、全てモデルとして一番重要な体型管理ができないジブンのせいだと思った。
Model_Non Koizumi、Photo_Hiroyuki Tsutsumi、Hair&Make_関谷美世(B★Side) Edit_Lily⭐︎(編集長)